江戸川編

 

 利根川のもともとの流れは江戸川であったが、家康が江戸開府にあたり治水を目的に銚子方面に分流させたのがいまの利根川であると言われる。また江戸川も現在の流路は行徳より下流は放水路として人工的につくられたもので、本来の流れは旧江戸川のほうであったらしい。昭和13(1938)6万戸が浸水したことを機に昭和18(1943)江戸川水門が設置され旧江戸川が命名された。この時旧江戸川ではなく、もっと親しみやすい名前にすべきであったのだろう。

江戸川の両岸とも堤防上に250mおきに距離標識が設けられており、河口は0km、終点利根川は60kmとなっている。59.5kmとする資料もある。ただしこの距離表示は旧江戸川河口から行徳での分流点を経て、江戸川を遡る経路のものであると推定される。したがって放水路に沿った江戸川の実際の長さは54kmとするのがよさそうである。距離標識の中に「東京湾25.3km利根川28.5km」というのがあり、妥当であろう。行徳より下流の江戸川放水路だけの長さは3.2km、旧江戸川は9.25kmである。利根運河は銚子から利根川を遡って江戸川を下っていた舟運コースを短絡するために掘られた運河で長さは8kmである。

 江戸川関係の2.5万分の1地形図を図-5.1に示す。ほぼ南流する河川である。利根運河はこのうち流山・守谷の図福に含まれる。

 

図-5.1江戸川関係2.5万分の1地形図
図-5.1江戸川関係2.5万分の1地形図