入間川編②飯能河原・吾妻峡コース

 中橋から左岸一般道や遊歩道を行き、阿須(アゾ)の鉄橋、飯能河原を通って岩根橋を右岸に移り吾妻峡に下りて「吾妻峡河原を歩く散歩道」をドレミファ橋の先まで歩く。その後右岸一般道を進むと二之瀬橋となる約16.8kmである。このコースのルートを図-2.3に示す。2.5万分の1地形図は青梅・飯能である。

図-2.3飯能河原・吾妻峡コースルート図
図-2.3飯能河原・吾妻峡コースルート図

 中橋から左岸一般道や遊歩道を行き、阿須(アゾ)の鉄橋、飯能河原を通って岩根橋を右岸に移り吾妻峡に下りて「吾妻峡河原を歩く散歩道」をドレミファ橋の先まで歩く。その後右岸一般道を進むと二之瀬橋となる約16.8kmである。このコースのルートを図-2.3に示す。2.5万分の1地形図は青梅・飯能である。

西武池袋線仏子(ブシ)駅から中橋に行き、左岸の一般道を上流に向かう。

 廃線鉄橋(写真2.4)は大正4(1915)に開通した西武池袋線のもので、当初は蒸気機関車が走っていたそうである。昭和44(1969)に下流で並行する現橋が完成し役目を終えている。河原からこの橋を見上げると空に向かう橋のように見え、撮影の被写体として人気があるらしい。

  岩沢運動公園はよく整備された公園で、流れ橋やゲートボール場がある。

  阿岩橋のたもとには、鎌倉街道の裏街道である大山街道と渡船場跡の説明看板がある。

  JR八高線の橋梁は高い位置に架かっており、「阿須の鉄橋」(写真-2.5)と呼ばれている。

 飯能大橋の下流河床には新第三系と推定される砂岩主体の堆積岩がほぼ水平な層理面を見せており、ポットホール(写真2.6)も見られる。小学生の野外授業に良さそうである。

 

写真-2.4廃線鉄橋
写真-2.4廃線鉄橋
写真-2.5阿須の鉄橋
写真-2.5阿須の鉄橋
写真-2.6飯能大橋のポットホール
写真-2.6飯能大橋のポットホール

  矢久(ヤキュウ)橋は、昭和34(1959)の伊勢湾台風および昭和36(1961)集中豪雨で大被害を受け、昭和38(1963)に現橋が架けられた。右岸のたもとに災害復旧記念碑が建てられている。同所には「飯能付近の河岸段丘」という説明看板がある。堤防はこのあたりで消滅する。

  割岩水管橋(写真2.7)は赤いアーチの水管橋兼歩道橋で、飯能河原から美しい姿が見られる。飯能河原(写真-2.8)では水辺に近づくことができ、流れ橋がある。

御典橋の上流の堰は大落差らしく上流側が湖となっており、貸しボート屋や名栗川亭なる料理屋が湖畔にある。

  岩根橋を右岸に渡り一般道を行くと、支流大沢川・大沢橋があってその少し先に右:吾妻峡の案内がある。それに従ってトイレの横から河原に下る。「吾妻峡河原を歩く散歩道」を汽車峡・兎岩・赤岩の案内板を見ながらドレミファ橋(写真-2.9) と称する飛び石橋に至る。ここで左岸に渡って国道に出ると国際興業バス永田大杉停留所である。

  推奨コースは右岸をそのまま進んで一般道に戻る。


写真-2.7割岩水管橋
写真-2.7割岩水管橋
写真-2.8飯能河原
写真-2.8飯能河原
写真-2.9吾妻峡ドレミファ橋
写真-2.9吾妻峡ドレミファ橋

  弁天橋は歩道橋で、橋のたもとや道路沿いの無量寺に弁天様の由来が書かれている。

  この辺りには材木屋や製材所の多さが目につく。入間川流域の材木は西川材として登録されている地域ブランドであるらしい。この流域から切り出された丸太を筏に組み、江戸に流したものが「西のほうの川から来る木材」ということから呼ばれるようになったとのことである。

 二之瀬橋のそばの国際興業バス下赤工 (シモアカダクミ)からJR八高線・東飯能駅に帰ればよい。