(4)武蔵水路・刀水橋コース

 

武蔵水路を通って利根大堰とその管理橋である武蔵大橋の直上流から右岸堤防に上り、赤岩渡船で左岸に渡って、刀水トウスイ橋に至る約16.7kmである。利根川のコースは長めとなる傾向があるので、このコースは短くした。コースのルートを図-6.5に示す。2.5万分の1地形図は熊谷・妻沼である。

 

図-6.5利根大堰・赤岩渡船コースルート図
図-6.5利根大堰・赤岩渡船コースルート図

 

 秩父鉄道武州荒木駅から正面の道を少し行き、左折して荒木小学校薬王山東福寺を過ぎると見沼代用水(写真-6.28)となりさらに進むと武蔵水路の武蔵橋(写真-6.29)になる。ここから緑のヘルシーロード(写真-6.30)と呼ばれる遊歩道を上流に向かう。

 

写真-6.28見沼代用水
写真-6.28見沼代用水
図-6.29武蔵水路
図-6.29武蔵水路
図-6.30緑のヘルシーロード
図-6.30緑のヘルシーロード

 

武蔵水路は利根大堰で取水され、行田市と鴻巣市を抜けて14.5km先の荒川に流れ込む。昭和42(1967)に完成し、毎秒43㎥流れている。

  武蔵水路の右岸が途中で見沼代用水沿いと変わるが、これは二つの水路が交差するので武蔵水路がサイホン(写真-6.31)で潜っているためである。武蔵水路は後発の工事なので水路や道路・鉄道と交差する箇所が伏越(サイホン)とされており、荒川までの14.5km間に8箇所あるとのことである。また武蔵水路は流路の中央に隔壁(写真-6.32)があるがこれは建設時や補修工事の際の半川締め切りを考慮してのものと思われる。

 利根大堰で取水後、武蔵水路を中央に3本水路(写真-6.33)が並んでおり、左側に埼玉用水路、右側に見沼代用水がある。

写真-6.31武蔵水路サイホン
写真-6.31武蔵水路サイホン
写真-6.32武蔵水路隔壁
写真-6.32武蔵水路隔壁
写真-6.33三水路
写真-6.33三水路


 

余談であるが,見沼代用水は米将軍と呼ばれた八代将軍徳川吉宗の「享保の改革」で、土木技術の天才と言われていた紀州藩の井沢弥惣兵衛為永に命じて、見沼の新田開発のために60km以上の用水路を計画させた。見沼に代わる灌漑用水として利根川から取水する水路である。当時は洪水を抑え込むのではなくあふれされるという「関東流」が主流であったのに対し、井沢は積極的に制御する「紀州流」とし享保12(1727)の夏から半年で完成させた。さらにその3年後に3mほどの高低差を閘門で往来できる「通船堀」を設置している。JR武蔵野線東浦和駅近くの見沼通船堀公園で運河の跡が見られるとのことである。水資源機構利根導水総合事業所の横に見沼代用水の石碑(写真-6.34)がある。

  利根大堰(写真-6.35)は水資源開発公団(現水資源機構)により昭和43(1968)完成した。昭和38(1963)水利権の問題がある利根川導水路計画を、時の池田勇人内閣の建設大臣河野一郎の政治的決断で立案したものである。昭和39(1964)東京オリンピックを前に東京渇水に見舞われ、建設省は朝霞水路を通して緊急取水を実施した。

  堰の魚道を窓越しに見られる大堰自然の観察室(写真-6.36)がある。余談であるが利根大堰のダムカードは、ここで押したスタンプを行田市の観光案内所に持参しなければ貰えない。

 

写真-6.34見沼代用水石碑
写真-6.34見沼代用水石碑
写真-6.35利根大堰
写真-6.35利根大堰
写真-6.36大堰自然の観察室
写真-6.36大堰自然の観察室

 

 福川水門(写真-6.37)で福川を渡り、再び利根川右岸となる。

 荻野吟子(1851-1913)生誕の地に記念館がある。この人は明治18(1885)34歳で日本初の女医になった人だそうである。

 河川敷に見えてくるサッカーグラウンドの手前の階段を下りると赤岩渡船の船着場(写真-6.38)である。案内が何もなく、見逃し易い。赤岩渡船(写真-6.39)は群馬県千代田町赤岩と埼玉県熊谷市葛和田の475mを約3分で結ぶ主要地方道(県道)熊谷・館林線の道路通船とのことである。利根川に橋の無い公道3つのうちの1つであるらしい。架橋陳情ののぼりが立っていた。この渡船は群馬・埼玉両県の委託で千代田町が運航し、料金は無料で、年間2万人が利用するとのことである。埼玉県側は無人で、対岸にいる船頭さんに知らせるため小屋の横にある黄色い旗を揚げてください、との張り紙がある。

 

写真-6.37福川水門
写真-6.37福川水門
写真-6.38赤岩渡船船着場
写真-6.38赤岩渡船船着場
写真-6.39赤岩渡船
写真-6.39赤岩渡船

 

 渡ると、こちらの岸には赤岩の渡し(写真-6.40)の標識があり、売店やトイレもあって対岸とだいぶ違う。渡船を運航しているのが群馬県側であるためであろう。

 ここからは左岸を進む。

  スーパー堤防上に千代田町のながさと公園(写真-6.41)がある。

  刀水トウスイ橋(写真-6.42)は海から164.5kmの国道407号に架かる。刀水は利根川の異称で、上野国新田荘を治めていた新田義貞が鎌倉幕府を攻めて凱旋帰国した際途中利根川で刀を洗ったとの言い伝えが由来らしい。片側2車線の本橋と、側道橋はどちらも3連アーチ下路式と同じデザインで、見栄えがいい。

  余談であるが、江戸初期から約240年間現在の群馬県太田市で採れた松茸が徳川将軍家に献上されていた時の様子を再現した「太田松茸道中」が10月初めに行われており、熊谷市妻沼聖天山歓喜院まで刀水橋を渡って武者姿で行列する祭りらしい。

 

写真-6.40左岸赤岩の渡し
写真-6.40左岸赤岩の渡し
写真-6.41ながさと公園
写真-6.41ながさと公園
写真-6.42刀水橋
写真-6.42刀水橋

 

刀水橋側道橋を渡ると右岸に「妻沼川岸」停留所があり、朝日バスでJR高崎線熊谷駅に行く。