荒川を歩いて

 

 最初は右岸河口からと決めていたので、JR武蔵野線・新木場駅から海に向かった。面白味のない工場街の道路で荒川にも近付けず、約1時間かけて若洲海浜公園に着いた。やっと海(東京湾)が見え、沖合では恐竜が向かい合うようなかっこうの「東京ゲートブリッジ」が当時建設中であった。目的の河口を確認することはできず、新木場駅までバスで戻って第五福竜丸が展示してある夢ノ島公園を通り、清州大橋でやっと堤防上に立った。都市の川というのはこんなものだぞ、と思いしらされたのである。ただ用意していた2.5万分の1の地形図は、歩くのには最適なスケールというのが実感できた。左岸も同様でJR京葉線・葛西臨海公園駅から線路沿いに堤防まで歩いたが河口方向は行ける雰囲気になく、上流堤防上に向かった。このように左右岸とも河口からと決めていた企みが果たせなかった。

  荒川全体を振り返ってみると、上流・中流・下流で顔が異なる。まず堤防は下流ではコンクリート製の高潮堤防で、中流では盛土堤防、上流になると堤防は消滅し自然地形を流れるようになる。この分け方による中流・下流の境は堀切橋付近、中流・上流の境は明戸床止め付近となる。

  事業仕分けで取り上げられたスーパー堤防は、左岸に6箇所、右岸に4箇所見られたがそのほとんどは未利用かせいぜい公園としての利用で、再開発目的を果たしているのは唯一新田地区のみである。ここが荒川でのスーパー堤防モデル地区と言っていいであろう。

  橋梁は川幅が異なるための規模の違いはあるが下中上流で差があるとは見えない。河口から二瀬ダムまでの本川で、一般道路橋が61橋、高速道路など優良道路橋が9橋、鉄道橋梁が16橋、小規模な人道橋などが8橋、水管橋が3橋とカウントされた。この中に斜張橋は「幸魂大橋」「秩父橋」「秩父公園橋」の3橋で秩父市が特徴的である。他の橋梁では「荒川水管橋」と「秩父橋人道橋」が印象に残っている。

  桜並木は至る所に見られ、いずれも開花時期には見応えがありそうである。現に下流ではその時期に歩いたので見物できた。「小松川千本桜」「荒川堤桜」「吉見桜堤公園」「熊谷桜堤」「秩父桜並木」などが印象にある。

  歴史遺跡も数多く存在する。大きな川なので、渡船場跡や堤防決壊に関するものも多い。下流から「阿弥陀の渡船場跡」「原山古墳群」「小谷城跡」「久下決壊の碑」「鹿島古墳群」「鎌倉古街道」「お茶々が井戸」「鉢形城と四十八釜」「野上下郷石塔婆」「金石の渡し跡」「井戸はぐれの旧道」「飯塚・招木古墳」「萩平歌舞伎舞台」「縄文人居住跡神庭洞窟」などがあった。

  博物館は「荒川知水資料館」「クワガタカブト博物館」「川の博物館」「埼玉県立自然の博物館」「荒川歴史民族資料館」などである。とくに長瀞にある「埼玉県立自然の博物館」は見ごたえがあった。

  動植物の保護関係では、「ヒヌマトンボ生息地」「さくら草公園」「野鳥の森」「白鳥飛来地」「久那のステゴビル」などである。また危険動物への注意看板は「熊」「マムシ」「スズメバチ」があったがいずれも遭遇せずにすみ、「猿」は何度か見かけた。「猪」は河川のそばにはいないのであろうか。

  河川敷の利用については荒川の河口近くは水量が多く堤防一杯に川の流れがあるため河川敷がなく、堤防上を公園やバーベキュー場、遊歩道など市民の憩いの場として利用されている。中流部になると常時の流れは一部分となり、左右両岸の堤防の間のいわゆる河川敷は、平坦で造成しやすいため広い面積が必要なゴルフ場、野球・サッカー・ラグビーグランド、農作地、飛行場などとして利用されている。さらに上流では自然の中でのキャンプ場、オートキャンプ場、釣り場などレジャー施設をみかけた。

  当初は水源まで行きたいと思っていたが、二瀬アーチダムを終点としたのは、歩いているうちに「熊注意」の看板が目立ち始めたのと、近くの山中でヘリコプターの墜落事故があり、家族から戒められたことによる。