利根川編

 

 江戸時代より以前の利根川・渡良瀬川は江戸湾に注ぎ、荒川は利根川に合流していた。また鬼怒川は銚子に流れていた。徳川家康から関東郡代に任じられた伊奈忠次が1621年から赤堀川開削などの利根川の付け替え普請を開始し、1654年通水した。子の改修事業を利根川東遷という。伊奈家の貢献は官位「備前守」を冠して備前渠や備前堤の名として、また埼玉県の伊奈町の由来となっている。その後利根川は治水と舟運という課題を背負うが、1783年浅間山大噴火の火砕流や火砕泥流による災害や、明治10(1877)頃からの渡良瀬川流域における足尾鉱毒事件などを機に舟運を維持しながら改修が進められた。現在は治水が主目的であるが、一方で下流域での塩害なども問題となっており、終りの無い水問題を抱えている。

  利根川は群馬と新潟の県境の大水上山山頂付近にある「三角雪渓」を源とし、千葉県銚子市・茨城県神栖市の境で太平洋に注ぐ流路延長322kmであり、その中流域である若草大橋(千葉―茨城)から平成大橋(群馬県前橋市)の間134㎞の両岸を16日かけて歩いた。下流側を若草大橋までにしたのはこれより下流は鉄道を使ってのアクセスに時間がかかることと、上流側は崖の上の一般道歩行のみで川に近づけないため興味を失ったからである。歩いた範囲の2.5万分の1地形図を図-5.1に示す。

 鉄道でのアクセスは、東武鉄道のアーバンパークライン・伊勢崎線・日光線などと、JRは常磐線と宇都宮線が横切り、バス利用をはさんでJR高崎線からなどとなる。

以下利根川を歩いた範囲で推奨する5つのコースを案内する。

図-6.1利根川2.5万分の1地形図
図-6.1利根川2.5万分の1地形図