JR青梅線終点奥多摩駅で西東京バスに乗り換え、奥多摩湖に行く。小河内ダム天端を通って右岸に渡り、「奥多摩湖いこいの路」を歩く。麦山浮橋を終点とし、対岸の小河内神社バス停で戻ってくる約15.4kmのコースである。このコースのルートを図-4.7に示す。2.5万分の1地形図は奥多摩湖である。
奥多摩湖バス停で降りるとその一帯にいろんな展示がある。目立つ場所に赤色チャートの巨岩を使った「湖底の故郷詩碑」(写真-4.49)がある。三千人、六百戸の集落が湖底に沈んだとのことである。「奥多摩水と緑のふれあい館」のレストランにダムカレーがあるらしい。水をせき止める堤体としてご飯を盛りつけ、湖に見立ててカレールーを流し込んだもので、スパゲティと野菜でトドラム缶橋まで表現したこだわりだそうである。余談であるが下久保ダムのものはL字型の堤体と三波石峡を表現していて、このようなダムカレーは黒部ダムのアーチカレーが起源と聞いた。
小河内ダム(写真-4.50)は東京都水道局管理のダムで、昭和7年(1932)東京市会で議決され、昭和13年(1938)着工、昭和18年(1943)~昭和23年(1948)の戦争による中断を経て、昭和32年(1957)当時の世界最大いまでも日本最大の水道用ダムが完成したとのことである。記念切手が発行され収集した覚えがある。堤高149m、堤頂長353m、堤体積1,675,680㎥の非越流式直線重力式コンクリートダムである。余水吐(写真4.51)はダム上流200mの水根沢にあり本体とは分離されている。ダムは見えないが、余水吐は全体が青梅街道から見える。取水口はヘリポートの下にあり、昭和55年(1961)増設されたらしい。発電所はダム直下に最大出力19,000KWの多摩川第一発電所がある。奥多摩湖の正式名称は小河内貯水池で、総貯水容量は1億8910万㎥とされている。
ダム天端を右岸に渡り慰霊碑や繋船設備を過ぎると「奥多摩湖いこいの路入口」(写真-4.52)がある。ここがこれからの距離標識の出発点である。距離標識は200m間隔とこまめに設置されていて、自分のペースが理解し易くありがたい。遊歩道自体もよく整備されていて、落石防護や転落防止の手すり(写真-4.53)、橋、坂道の階段などの安全施設は充実している。安全を呼びかける「落石注意」「転落注意」の看板や「熊出没注意「ハチ、ヒルに注意」の看板も多いが、教育用の魚類(ワカサギ、コイ、ヤマメ、イワナ、フナ)・鳥類(メジロ、ヤマガラ、シジュウカラ、トンビ、イワツバメ、オオルリ)・動物(ニホンシカ、ニホンカモシカ、ニホンリス、ヤマネ、テン)・植物(ヤマグリ、ヤマユリ、ヤマホタルブクロ、イワタバコ、ミツバツツジ、フジ)の絵入りの看板(写真-4.54)も多く見られる。個人的には地学教育のものもあればいいのに、という感想である。
ダムから2km地点に注意看板があり、これから先の遠さ(10km)と体力の自信次第でダム方向に引き返すことを選択するような勧告が書かれている。ここから先の遊歩道は道幅が小さくなり整備のグレードが若干下がるものの、快適な歩きに問題はない。
奥多摩湖いこいの路のほぼ中間の、ダムから6.3km地点には売店はないがいこいの広場(写真-4.55)と称して休憩小屋とトイレがある。大むぞ沢橋(写真-4.56)を過ぎ、10.8km地点の休憩小屋(写真-4.57)、月夜見山登山口があるリスの広場を抜けてしばらく行くと12km地点のいこいの路終点となる。この12km間、昼食・休みを入れて4.5時間かかり、1万9千歩であった。
少し遠回りとなるが山のふるさと村ビジターセンター (写真-4.58)を訪ねるのもよい。パンフレットによれば、土をこねての陶芸教室や石灰岩を使っての石細工教室など地学要素もあるらしい。また石灰岩から虫眼鏡を使っての化石探しコーナーもあった。
道案内に従い、ここから麦山浮橋に向かう。ここからの道も遊歩道で、アップダウンのある道を約2.5kmとあと一頑張りである。今回も以前と同様猿に遭遇(写真-4.59)した、が、この辺りは民家もなく住み易いのであろう。
三頭山登山口を過ぎると、湖面に浮かぶ麦山浮橋が見えてくる。
麦山浮橋(写真-4.60)左岸の説明書きには「奥多摩湖には麦山(220m)、留浦(212m)の2箇所に浮橋がかかっています。この浮橋は、ダム建設に伴い湖底に水没した対岸との通行路の代替として設置されました。現在は、ポリエチレン・発泡スチロール製の浮子を使用しています。以前はドラム缶の浮子が使用されました。このことから通称は缶橋と呼ばれています。」と書かれている。
麦山浮橋を渡って、青梅街道に上がると、そこに西東京バスの小河内神社バス停がある。